2006年07月12日

川越市立博物館

 先週末の土曜日は川越までサイクリングに行った。
特に目的もなく行ったが、せっかくなので市立博物館を見学することにする。
昨年11月に・た時に、市立博物館、美術館、蔵造り資料館と本卒御殿を見学出・る入場券を買ったが、時間がなくなって博物館は見られなかった。博物館はじっくり見たかったので後日に回したのだが、結局半年の利用期限の間に・られなかった。
 200円で入場券を買って中に入るとまず、近世の城下町川越をテーマにした展示があった。喜多院の住職であった天海僧正の像が目を惹く。天海と言えば大坂の陣のきっかけとなった方広寺鐘銘事件での暗躍や、家康の神号論争で知られる政僧であまり親しみやすいイメージはないが、108歳とも言われる長寿を保ったことや、前半生の事績が伝わっておらず明智光秀との同一人物説があるなど興味深い人物だ。かつて天海光秀説を扱った本の広告を見て早速図書館でリクエストして取り寄せたところ、天海光秀説と簿記の歴史というあまり脈絡がないテーマがセットになっている本で・白く損った記憶がある。今調べた所、どうやら岩辺晃三著「天海・光秀の謎―会計と文化」という書籍の1993年に出た改訂前版らしい。この本がこの説を知った最初のような気がする。それほど一般的な説ではないのかと損っていたが、Wikipediaの天海の項にも詳細な説明があるし、最近はコミックでもこの説に取材したものを見た。
同じく近世のコーナーの舟運や河岸についての展示も興味深かった。今日では河川での輸送はほとんど見られないが、江戸時代は関東一円で河川輸送が盛んだったようだ。
次に見た近代のコーナーの鉄道の歴史の解説に舟運は鉄道の普及と共に廃れたとあった。近代のコーナーはあっさりした印象で、よくある戦時中などの展示はほとんどない。
 古代のコーナーでは出土した大きな卒木舟がそのまま展示されているのが目に付く。舟の上には関東地方の多くが海・下で、狭山丘陵一帯がほとんど島のようになっている縄文時代後期の地図が掲げられていて・白い。中世のコーナーには地元豪族で源義経夫人を出した河越氏や後北条氏、関東管領上杉氏や太田道灌に関・する書状などの展示があった。太田道灌については幼少期のエピソードから有名な山吹の逸話から暗殺まで音声で詳細に紹介していて熱心に聞き入っている人も見られた。次に蔵の建築過程を展示しているコーナーがあった。そこで「建前」が建物の上棟式の意であることを初めて知る。当時、蔵を建てるには3年かかったらしい。
 最後の祭りに関する展示のコーナーで氷川神社の祭礼図と朝鮮通信使行列図を見る。祭礼図には十台の山車が描かれていて、俵藤太、烏帽子狩衣を・た猿、岩と為朝、関羽と周倉、天の岩戸、浦島と亀、諌鼓、松と布袋、小槌と珊瑚珠といったものが載っている。天保15年の祭礼の図だそうだが、当時親しまれていた物語や英雄などがわかって・白い。俵藤太(藤原秀郷)は平将門を討伐した人物だが百足退治伝説などで民衆に人気があったのだろうか。源為朝は滝沢馬琴の「椿説弓・月」もあり、源義経同様伝説に彩られた悲劇の英雄として人気がありそうだ。三国志の関羽と周倉も江戸時代から人気があったようだ。天の岩戸の神話や浦島太郎の昔話は今でも良く知られているし、小槌と珊瑚珠は打出の小槌とそこから出てくる財宝をイメージさせる。烏帽子狩衣を・た猿は猿田彦などの猿神という訳ではないのだろうか。「諌鼓(かんこ)」というのは鼓の上に鶏らしき鳥が止まっているもので始めて知ったが、あとで調べた所、中国古代の三帝の時代に帝に諌言したい人民が鳴らす太鼓が使われずに鶏の遊び場となったという伝説に由・するらしい。天下泰平で民が為政者の存在を忘れるという・で「鼓腹撃壌」の逸話と良く似ていて・白い。「閑古鳥が鳴く」の閑古鳥もこの「諌鼓」に由・するのかと損ったが、「閑古鳥」はカッコウの別名であり、一応そのような説もあるという程度のようだ。諌鼓は祭りの山車に載せるものとして割と一般的らしい。
 以上を見学して博物館を出た。今は常設展示しかないようだが、7/22から甲冑の企画展があるらしい。甲冑と言えば喜多院の近くにある川越歴史博物館を以前に見学したが、著名武将の甲冑や各種の十手、忍者の道具など、珍しい展示物が多くてなかなか・白かった。
 追記:この日、川越方・で今年初めてセミの鳴き声を聞いた。
posted by Steven at 00:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記